甘えと甘やかし
保育の仕事は安定を作り出すことです。
その安定とは、これとこれとこれが持てていればこの子はこれから問題なく成長していくことができるといったものです。
もし、そのいくつかが足りていない子がいれば、それを補って安定できるところまで援助していきます。
そうした中でもっとも重要といっていいものが、他者を信頼できるかどうかという点です。
他者への信頼感、信頼関係の構築。
これがある程度でも構築できていれば、成長の基礎的な部分ではさほど心配がないと言えます。
しかし、ここにネックがある場合はさまざまな問題が起きてしまいます。
なのでそこを多少なりとも安定させていく必要がでてきます。
他者を信頼できるかどうかという問題は、さまざまな影響をもたらします。
友達と仲良くしたり、大人の言うことを聞いたり、自分の非を認めたり、謝ったりすること。そうしたことはおろか、他者への信頼が持てなければほめられてすら嬉しく感じられません。
問題行動がでるのはある意味では、人との関わりを求めている、期待している状態ですが、それすらしないほどになってしまうこともあります。
そもそも人を信頼できないゆえに、人への期待を持たなくなってしまった状態です。
幼少期に獲得しておくべきもののひとつが、人を信頼できるという感覚です。
それをさらに具体的に細分化してみると、例えば以下のようなことがあげられます。
・人は自分へ関心を持ってくれている
・人は自分を肯定的にとらえてくれる
・人は自分の失敗を許容してくれる
・人は自分の弱さや甘えを許容してくれる
・人は助けを求めたときに助けてくれる
・人は謝ったときに許してくれる
・人は自分を攻撃しない etc.
大人はしばしばこうしたことの順序を逆に解釈してしまいます。
例えば、規範に大変厳しい大人がいたとします。
細かいことにも注意し、落ち度を厳しく責め、簡単に許すことをしない。
さらに、かわいがったり、肯定したり、おおらかに情感的に関わることをしないといった姿がセットになってしまうと、その子はなかなか人への信頼感を持てなくなりかねません。
すると、余計にその大人からは問題と見える行動が増えてしまいます。
素直に間違いを認めたり、謝ったりできません。
そうした規範に厳しい大人ほど、そういう態度を好まないのでさらにそこに対して否定や否定的感情を持つことになってしまいます。
しかし、本当の問題は、謝れないというその子の問題ではなく、人を信頼できるだけの基礎的な関わりをしなかった大人のあり方が、その子のそうした行動を生み出してしまっているということです。
自分の間違いを認めたり、他者に謝るという行動は非常に高度な対人関係です。
これらは他者が自分を許容してくれるという経験やそこからくる自信がなければできません。
言ってみれば、肯定・許容・受容の貯金をたくさんためたあとに生み出される利息のようなものです。
さて前置きが長くなってしまいましたが、今回のテーマは「甘えと甘やかし」です。
いま見てきたように、人が育つには基礎的な部分で、肯定・許容・受容がたくさん必要です。
それはさらに言えば、甘えや弱さの許容と考えられます。
できない自分、弱い自分、失敗する自分であっても人は否定せずに許容したり、受容してくれるという経験とそこからくる人への信頼の構築が幼少期の非常に大きな課題です。
それが構築されるとその先に「安心」が形成されます。
なぜ安心なの?と問われたら、その逆を考えると容易にわかります。
人が信頼できない子(あるいは大人)は、いつも他者をおそれてビクビクせずにはいられなくなりますね。
人を信頼できる子はそれがないどころか、むしろ他者が自分を見守り肯定してくれると理解しているので安心でき、なおかつ自信を持っています。
良いところをほめてくれる、肯定してくれるのはある意味で当たり前です。
人が自立して生きていくためにはそれだけでは足りません。
もっと深い肯定が必要になります。