子育てとフェミニズム

男性にこそ読んでほしい子育てのおはなし。
保育士おとーちゃん 2026.02.04
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現代において、フェミニズムを踏まえずに子育てを語ることはできないと言っても過言ではないでしょう。

いえ、子育てだけでなく社会に関わる全てのことがフェミニズム抜きには語れないのが本当のところです。

あまりに多くのことが男性中心社会として構築されてきたからです。

ほぼすべてのことがそうであるがゆえに、逆に男性からはそれが見えなくなってしまうほどに。

音楽が社会にモノを訴える手段になった20世紀後半から現在にかけて、世界には音楽性、メッセージ性ともに優れた楽曲がたくさん生まれました。

ここを視点を持って見てみると、男性歌手が既存の権威や秩序、社会のあり方への反骨や愛や平和を訴えて歌っているその同時代に、女性の歌手はただ普通の女性であることを訴える歌をたくさん歌っていました。

女性はただ女性として、あるいは人として生きること自体が戦いだったのです。

このことは今現在ですらあまり変わっていません。

男女という性差においてさまざまところに不公正が存在しています。

そのひとつとして子育てがあります。

◆ケアする性

子育てひとつとってみてもさらにその中にいくつものポイントがあります。

まず考えられるのが、性別役割固定化の問題です。

家事、育児、介護といったものが長らく女性がすべきものと考えられてきました。

それはさらに社会的職業としてもそのように形作られてきました。

保育、介護、看護といったものが女性が基本的にすべきものとされていました。

近年にいたり、それが不公正であることが理解できるようになり、みなさんもご存知のように看護婦が看護師に、保母が保育士に変わりました。

僕のようにそれまで女性がすべきものとされるところに入ってくる男性も増えてきてはいますが、社会の意識としてはいまだにケアということが女性とひもづけられて考えられる傾向は非常に色濃く残っています。

そうした業界にいる男性ですら、その問題を気がつき乗り越えるために入ってきている人ばかりとは言えないのが現実です。むしろ少数派でしょう。

女性が「ケアする性」として人々の意識の中に固定化しています。

そうした不公正な固定化のあり方を解体していく必要があるからです。

「女性」であるゆえに公正さを奪われ、それが差別的な社会構造として作られてきたものを見直し公正なものにしていくことがフェミニズムと言えるでしょう。

つまりは女性問題に関心がなかったとしてすら、人権を大切と考えればフェミニズムに行き着くのは当然の流れです。

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