大人の主体性と子育て
前回のこちらの記事『命令されてやる子と進んでやる子』では、子供の主体性の育み方について考えてみました。
今回はさらに掘り下げて主体性そのものと大人の主体性のあり方について考えてみます。
子供のことを考えるとき、大人は実に自分に都合よくものごとを考えてしまいます。
なので子供の主体性の理解においても、「大人の望むことを子供が進んでする」ことが主体性なのだといった解釈をしてしまいがちです。
しかし、上記のその理解は主体性そのものを考えてみれば、主体性の理解として正しくないことがわかります。
主体性とは価値観やモノの感じ方が他者の延長線上のものでなく、独立・自立しているということです。
それは必ずしも大人に都合のよいものではありません。
むしろ真逆です。
多くの人が子育ての難しいところとして、2歳前後のいわゆる「イヤイヤ期」をあげます。
ここがまさに自立のプロセスであり、主体性を発揮しているところです。
大人から独立・自立するためには、なんでも従順に従うのではなく違う人格を形成しなければなりません。
そのために大切になってくるのがNOと主張することです。
このNOを主張することで人格の自立が進み、主体性を獲得していくことができます。
しかし、子育てする大人としては、このNOをぶつけられると困ってしまいます。
手っ取り早いのが、主体性の芽そのものを摘み取ってしまうことです。
主体性そのものがなければNOがなくなるので、大人にとって都合がいいです。
やむにやまれずそうなる人もいますが、権威主義や支配を好む人は進んでその状態の人格を形成しようとしてしまいます。
しかしながら、それで従順に育っても生きづらさを獲得してそれにずっと悩むようになったり、後々痛烈な反発が起こり親子関係が断絶するまでになってしまうといった問題が起きます。
『ロミオとジュリエット』はじめ、世の中には親の意に反して結婚・恋愛しようとする物語が無数にあります。
それはまさに、人の主体性を抑えつけ支配に服させようとする人がたくさんいること。また、それでは必ずしもうまくいかないことを表していると言えるでしょう。
さて、今回考えたいのは大人である私たちの主体性はどうだろうという点です。