いじわるする子を安定させる方法
僕は昔から映画が好きでした。
いろんなことをそこから学びました。
とはいっても娯楽の域を出ないものと漠然と思っていたようです。
しかし、最近そうした物語に触れるという経験こそ大事だったのだと考え直すようになりました。
当たり前ですが、人は自分一人の人生しか生きることができません。
でも、物語に触れることで、あくまでかりそめとはいえ自分以外の人生に擬似的に触れることができます。
それがちょっとずつでも積み重なることで、人は他者への共感性、とくに人生のつらい局面にいる人や弱い状況におかれている人への優しさやまなざしといったものを獲得できるのでしょう。
つまりヒューマニズムです。
現代のように、「自己責任」という言葉がもっともらしく使われそれを当たり前と思う人が多くなってしまった時代において、なおさらそれは貴重なもののように思われます。
さて、前回「いじめをしない子に育てる方法」と題した記事をお送りしました。
このメルマガでは子育てに関する記事を中心にしているので、予防に重きをおいてそこからの回復についてはあまり触れなくてもいいかと考えていたのですが、それも子供を受け止め肯定して育てる受容のテーマと密接な関わりがあることなので、今回それをテーマにします。
◆子供の加害的な姿
子供はしばしば加害的な姿を見せることがあります。
それは発達のひとつの段階、つまり成長の自然な姿の場合もありますし、なにか理由があることもあります。
それを理解する際に気をつけてほしいのは、必ずしも悪意ではないことです。
悪意と大人がとらえてしまうと、罰する、否定する、矯正する、しつけるという、子供に対して否定的なアプローチに行き着きやすいです。
それはしばしば加害的な姿を一時は抑制しても、問題の解決にならないどころか、火に油を注ぐこともあります。
端的なのは、親の前でよい子だが外の社会で攻撃的な姿がでているケースです。
こうしたケースは、肯定が少なく否定が多いゆえに、家庭や親が安心の場でなくなっていることがあります。これに対して否定のアプローチをすれば、その問題がより加速することになりかねません。
ざっくりですが僕の保育士経験上、加害的な姿になるケースの背景にふれますと以下のものがあります。
・保護者に求められるものが多い(勉強や習い事、容姿)
・威圧的、圧迫的
・子供に無関心(ネグレクト)
・「ちゃんと、きちんと、しっかり」を過剰に求められる
・行動に過剰に干渉的
・慢性的なごまかしや自己決定を奪うなどの過剰な過保護
子供に悪意を見ないのと同様、保護者も悪意ではとらえません。保護者自身もそうした関わりを子供にしてしまう問題を「持たされている」のですから。
なので、保護者に子供の加害的な姿の解決を求める前に、保育園として保育士としてできることを考えます。
◆ケア的関わり
読者の皆さんは大人ですが、ちょっと子供の立場になって考えてみましょう。
もし、上で挙げたような状態に自分がおかれていたらどんな気持ちやあり方になるでしょうか。