子供の経験する他者の死
「子供は死をわからない」とはよく言われます。
本当にそうでしょうか?
実は僕自身5歳の時に祖父を亡くし、そこから何年も死というものに恐怖を感じ毎晩悩み苦しみました。
あのとき誰か大人が理解してくれたり助けてくれていたら多少なりとも苦しまずにすんだかと思いますが、その当時の自分にはそれを誰かに相談すべきこととも、そのボキャブラリーも持ち合わせていませんでした。
その経験から子供がする他者の死の経験を軽視してはいけないなと思うのです。
またさまざまな子供のケースを学んでいくと、同様の状況は近親者の死のみならずペットあるいはぬいぐるみなどの無生物の死や喪失、絵本やお話があたえるものからも引き起こされることが確認されます。
ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーはその主著『存在と時間』の中で、「人はだれしも自分の死を観測することはできない。人が経験するのは他者の死を通してである」と述べています。
年齢が上がり他者の死をそれなりに経験してきたりすると死というもののとらえ方が若いころとは変わってくるのを感じます。
若く活力のあふれている時代には、死というものを怖いもの悪いものととらえてしまいがちですが、だんだんとそこには安らぎや「まっとうする」といったポジティブな面も存在することを理解するようになってきます。
直接、人の死を経験することはなくとも小説やドラマといった創作物に触れる経験を通してもまたそうした理解を蓄積していくこともまた大切なのでしょう。
死は文学が常にテーマとしてきたことでもあります。
それを考えることが、その人の持つヒューマニズム、人間性を磨くものともなります。
そのように人は死というものを年齢や経験を通して少しずつ理解していきます。
しかし、子供は逆にそうした理解を持つことができません。
するとどうなるか。
「喪失」に対処できないのです。
死というものへの理解が薄いがために、かえって「喪失」の問題に対処するすべがないのです。
なので、子供の個性によってはとても苦しんでしまうことがあります。
それゆえに子供が身近な人の死に直面した時、あるいはなんらかの理由から喪失の恐怖におちいってしまったとき、大人はそれを丁寧に見守る必要があるでしょう。