子育てのバランスを崩すもの -自他境界のあいまいさ-
ありていに言ってしまうと子育てというのはよく間違いを起こすものです。
間違いといっても必ずしも悪意によるものではありません。
しかし、だからこそ余計に難しいとも言えます。
そこには人の性(さが)が関わるからです。
人は「良い子育て」を模索しますが、むしろ「すべきでないことをしない」ことが結果的に良い子育てになると言うのが実際のところかもしれません。
ではその人の性とはなんでしょう。
例えば、不安であったり、エゴであったり……etc.
それら自体が悪いわけではありません。
まさに人とはそういうものだからです。
ただそれゆえの行動が行き過ぎてしまうと、子育てはバランスを崩します。
そして、その行き過ぎを招いてしまうものもまた人はその性質として持っています。
そこに多少なりとも気づいておくことで、子育てのバランスをたもっていこうというのが今回のおはなしです。
さて、その行き過ぎを招いてしまうものの名前は「自他境界」です。
あまり耳慣れない言葉ですが、読んで字のごとく自分と他者の境界線の問題です。
より正確に言うと、「自他境界のあいまいさ」の問題です。
人にとって我が子は大事であり、親愛の対象です。
しかしだからこそ、自分と子供の境目があいまいになってしまいやすいものです。
それは例えばどんなことかというと、我が子にはつい言い過ぎになってしまうといったことは普通に起きますね。
その同じことを他人の子には言わない人が大半でしょう。
どうしてそれが起こるかといえば、他人の子の場合は自他境界が機能するからです。
しかし、我が子に対しては自他境界があいまいになってしまい、つい言い過ぎになってしまいます。
こうしたことは親子間だけでなく、教員と生徒、保育士と児童といった関係でも起きます。
しばしば不適切対応した教員の事件のニュースなど「真面目で熱心な教員だったのにどうして」といった文脈で書かれていたりしますが、僕はむしろだからこそ起こったと思ってしまいます。
熱心で親愛の情の強さが、自他境界のあいまいさを引き起こしそれが不適切行動の温床になるからです。
しばしば自分の担任したクラスの生徒・児童を「うちの子」と呼んでしまう人がいますが、いくらそれが親愛の情からであってもそうした自他境界のあいまいさにブレーキをかけられないのは専門職としてあやういと感じます。
さて、はなしを子育てに戻しましょう。
リスクのあるもので、自他境界のあいまいさが引き起こしやすいものをいくつか考えてみます。